とある民族音楽学者の日記

長年のフランス生活で培ったノウハウをシェアしたいと思います。よろしくお願いします。

フランス留学①労働許可について

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貯金なし、完全自活で、フランス留学は可能なのか?

しかも、パリに住めるのか?

 

答えから言えば、私は可能でした。ただし、一切の娯楽・遊興費、被服費を完全に我慢して、やっと可能になりました。

うまくやってる人は、そこからそういう費用を出せてる人もいたので、何事も人に寄り切りみたいです。

 

まず基本的なことから。

1)労働は週20時間まで可能

フランスで学生ビザを持っていれば、週に20時間まで働けます。これは、フランスのハーフタイムにあたります。週20時間計算で、年間最高労働時間が決められています。

 

2)失業保険はもらえない

 

フランスでは、アルバイトはないので、契約書が発生する労働は正規雇用です。が、残念ながら、学生ビザでは失業しても、保険は出ません。

 

3)確定申告は5月から

 

確か、2019年より日本のように、あらかじめ源泉徴収される制度ができたはずですが、自分でその設定をしていない場合は、手取り月収から税金が見込み税金が引かれていません。収入が発生した場合、確定申告をする必要があります。

 

フランスでは、職業によって給料が、だいたい決められているので、職業がわかれば、収入も自ずと想像できます。ちなみに、日本人学生がよくするアルバイト、レストランの従業員は、基本的には最低賃金SMICです。今年の最低賃金は、額面(BRUT)10.15ユーロ。手取り(NET)8.03ユーロです。何にもわかってない学生を、これ以下で雇おうとする人もいるので、気をつけましょう。

 

仮に、週20時間で月80時間働いたとすると、手取りは640ユーロ。この額だと、確定申告してもnon imposable、税金支払い義務がないはずです(念のため、断定を避けます。)

 

さらに、住宅補助APLが、ビザに関係なく9メートル四方以上の部屋を借りている人(住人が一人の場合)に発生します。パリの場合は、私が住んでいた小さなアパートで207ユーロでした。(住宅手当てについては、別な記事で説明します)。これだけで、847ユーロです。

 

仮に最低賃金でハーフタイムで働いたとして、この収入内に支出を抑えられれば、可能、という事になります。もちろん、最低賃金以上の仕事もあります。その場合は、日本人社会で仕事を見つけるのではなく、フランス社会で見つけることをオススメします!!

 

金銭面で、留学を迷っている方、どうか諦めないで、解決策を見つけてください。工夫次第では、可能になるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

フランス語①

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Je veux .....! 私は、・・・がほしい!(あるいは、私は、・・・したい!)という時の表現についてです。フランス語を勉強するときに、かなり早い段階でこの表現を習います。後ろに名詞や動詞をつければ、したいことがなんでも言えます。

 

今度、面接を受けるというフランス語ビギナーの方をお手伝いしていて、気づきました。これを習う初級の段階では、希望を言うことが目的なので、そのニュアンスについては習いません。

これさえ覚えておけば、レストランで注文するとき、人に希望を伝えるとき、したいことがあるとき、とても便利な表現ですが、実はちょっと落とし穴があります。

 

実は、この表現とても直接的なんです。言葉を覚え始めた子供が頻発するのも、この表現。この表現は、TPOによっては、とても未熟な印象を与えてしまいます。

 

これを、conditionnelのJe voudrais... に変えるだけでも、かなり印象が変わります。レストランなどでは、これで大丈夫です。

 

英語を習った方はご存知でしょうが、英語は敬語がないと言われているものの、丁寧な表現や相手へのリスペクトを表す表現はあります。フランス語もしかりです。

面接などオフィシャルな場面では、さらに、souhaiter(希望する)のJe souhaiteraisに変えれば、子供っぽさはなくなります。ただ、面接の場合は、面接される側の強い意思を示す必要があります。そのときは、vouloirを使う場合もあるかもしれません。私は個人的には、vouloirよりも「私はするんだ」という気持ちを示すために、「J'ai besoin de...(・・・の必要がある)」などの表現と合わせて、固い意思や強い希望の他に、必然性も示すようにしています。

 

ネイティブでないので、奇をてらった表現をしても、変にうつってしまいます。それが完璧にできたとしても、おそらく面接官の集中力が「私の話す内容」から「フランス語が下手なアジア人が、以外にも使えた表現への驚き」に一瞬でも写ってしまいます。それでは元も子もありません。そうでなくとも緊張する場面。フランス語を習い始めた頃から使っているシンプルな表現で、端的に表すことを心がけています。

 

今日のポイントの1つ目は、Je veux.....!よりも、Je voudrais....のほうがニュアンスが柔らかくなるということ、2つ目は、面接では背伸びをせずにシンプルに!です。

 

 

 

 

 

新しいことに挑戦しよう

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8月が始まりました。新しい月になったし、新しいことに一ヶ月挑戦してみようと思い立ちました。

 

私は自分に自信がなく、人の思っていること、あるいは人が自分に対して持っているだろうと自分が思っていることと、自分が実際どういう人間であるかを切り離すことがうまくできませんでした。誰よりも努力しているつもりなのに、いくら努力してもしても、自分が納得行くことはなく、すればするほど、できない自分に自信を失っていました。

 

悲しいかな、自信は努力をしたから身につくものではありません。幸せも、努力ではどうにもなりません。では、どうしたら自信がつくのだろう、と本を読んだり、人に聞いたり、その方法を探しましたが、すでに自信がある人のアドバイスは、私にはしっくりきませんでした。自己肯定感が自然と持てている人には、自己肯定感が持てないことの辛さは、理解できないからです。

 

ジムに通い出して、自信を持てないことを考える時間が減りました。ジムに行って、無心に運動していると、「どうして私は自信がないんだろう」と罪悪感を持つ時間が減ったからです。自信があるかどうかでなく、今「私は5km走りたい」「5km漕ぎたい」など、したいことに集中しているからだと思います。

 

そこで思いついたのが、一ヶ月新しいことに挑戦してみること。忙しい時間でもすぐにでき、お金もかからず、何かすっごく簡単にできてしまうことに挑戦してみよう、ということです。私がやろうと思っていることは、プランクです。最初は20秒から、2日に一度10秒ずつ増やしていき、6の倍数日はお休みにする、というものらしいです。最終的には5分間することになるらしいです。ジムの腹筋で、30秒プランクし、45秒のダウンタイムをとる、というのを4日に1度やっています。これなら、できるかなと思いました。

 

自信をどうしたら持てるようになるか、を考えると病んでいきます。だって、上にいけば行くほど、できるようになればできるほど、視野が広がり、知識も深くなり、自分の立ち位置が見えるようになるからです。だから、自信がない、ということは、見えているという点で悪いことではありません。

でも、辛いことではあります。自信は持てるかどうかでなく、自信を持つことからいかに自分の目をそらすか、です。無心になれることに、1日20秒ずつ挑戦することから始めて、一ヶ月後の自分の変化を見てみるっていうのは、面白そうだと思いませんか?

 

ぜひ、一緒に挑戦しましょう!!

 

 

 

ジム通い

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gym

演奏というのは、見た目以上に肉体を使います。5年前に歌をやめるまでは、日曜以外毎日必ず2時間練習にあてていました。もちろんずっと歌いっぱなしではないけれど、クラブサンも習っていたので、それなりに体を使っていたと思います。お腹も自然と割れていました。

 

それが、歌もピアノもやめていた数年間で、わずかにあった腕の筋肉はタルタル、お腹はぶよぶよ。歌を再開する少し前から、自宅で筋トレをしていたのですが、もっと追い込んで体を作りたくなって、ジムに通いはじめました。小さい頃から体育が大の苦手。それが今、運動にはまりつつあります。

 

小さい頃からなんでも何かをし「ながら」する癖があり、一つのことに集中するってことがありません。いつも、考えがあっちこっちにいって、全て同時進行でしかできないため、スイッチが入った時と入ってない時の集中力が全く違う。それが、無酸素運動の時には、何かをしながらできないので、今していることに集中するようになります。それが、新鮮で面白い。これまで適当につきあってきた自分の体も、どの筋肉を使っているのかわかるので、「自分」というものに集中できるような気がします。

 

 

ただ、簡単に筋肉ついた体になりたいと思ってましたが、こんなに筋肉をつけるのが難しいとは。何事も継続・努力ですね。

 

ランコムを買った。

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先日、セフォラに行った時に、お姉さんに勧められるがままに買ってしまった、これ。

普段、慌ただしく過ごしているのを言い訳に、スキンケアなんてまともにしていなかった私が、珍しく朝昼してます。

これ以前に使っていたのは、日本で買ってきた大容量の某は○む○化粧水もなんらかの乳液もきれたので、子供の保湿クリーム(敏感肌用のお医者さんに処方された保湿クリーム)を気が付いた時に塗ってただけという・・・

 

暑いから、ちょっと動くのも嫌になっちゃって、仕事も人に会わずにできるし、最近じゃあすっぴん・ビーサンで道を歩いてました。

 

でも、清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったこのコレクターというやつ。これを使ったら一ヶ月でたるみ毛穴が改善するわよ、という店員さんの言葉に惹かれて買ったのですが、いい匂いもするし、なんとなく気持ちも肌も引き締まった気がする。

 

そうしたら、なんだかやる気が湧いてきて、このいい匂いのお化粧品をつかい続けるには、お給料をあげなくちゃとか、ライン遣いするにはもっといい仕事につかなきゃ、とかここ数日いい意味で野心が湧いてくるし、ちょっと「女の人」になった気持ちになれるし、お高い化粧品には、嬉しい副作用があるんですね。

 

毎日ちゃんとスキンケアしてなかったのが、毎日することで効果が出ているのか、本当にこれに香料以外の効能があるのかは、使い切った時にわかるでしょう。

語学コンプレックスを拭い去ろう

 

 

 

 

 

 

 

 

フランス在住11年に突入しました。その間、日本人と日常生活で一切関わることがない生活をしていました。もともと、留学したばかりの時、英語ばかり話す私に歌の先生が釘をさしたのがきっかけで、なるべくフランス人に溶け込むようにしていました。また、通っている学校に日本人が少なく、特に大学に入って以来、同じクラスには日本人が一人しかいませんでしたし、職場ではフランス人に囲まれていました。

 

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drapeau de la France

そんなこんなで、最近フランス人にアレルギー反応みたいなものが出てきました。

 

フランスというのは、階級社会で、かつ人種間の交流がほぼない社会です。おそらく、これはどこも同じ。もちろん、学校や職場は人種が混ざっていますが、中学教員時代の職場(公立学校)の教員はフランス人だけ、職員にもアジア人すらいませんでした。白人率も高いです。(差別でなく、これが異民族社会の実際です。また、アジア系フランス人は、ビジネス方向に行くんだと思います。)私はそのレクトラ(教育委員会的なもの)で初の日本人の一般教科の教員でした。

 

最初の赴任先は、フランスでもっとも有名なお城がある場所。お金持ち地区です。フランスでは、共働きの場合などは家政婦さんを雇うのが一般的です。家政婦といえば、優秀で有名な民族がいます。それがフィリピン人。一般のフランス人には、フィリピン人も日本人も同じアジア人なのです。想像してください。この違和感。家でお掃除してくれる人の親戚みたいな人が、自分のプロフェッサーになったら?ちなみに、この赴任先、私以外のプロフェッサーは全て白人・フランス人(ハーフとかクウォーターはいても、フランス生まれのフランス国籍)でした。フランス語のバイリンガルであるアラブ人ですらいない。(何度も言いますが、人種差別でなく、これがフランス社会の実態です。)そんな中、一人やってきた中国人(アジア人は中国人のくくり)、日本語訛りでフランス語が母語でない先生。

 

はたして、生徒は白人フランス人教師と同じ対応をするでしょうか。もちろん、私の性格やフランス語が完璧でないことなど、原因はたくさんありますが、私が一番苦労したのは、同僚から「優秀」と呼ばれるクラスでした。どうも、下に見られるみたいです。

 

フランス人・フランス語母語話者と同じ職務をこなさなければなりません。試験作成、ノートの添削、ノートを書かせる時の文章、配布プリント、毎回授業後に保護者にする授業の内容報告と生徒の連絡帳に書かせる宿題・持ち物の内容、授業で話す内容、成績表のコメント、成績会議、問題児の裁判的な会議の証人、などなど全ての言語活動に、間違いがあってはならないのです。

 

何度も見直して、ネットで用法を調べ、どんなに完璧にしたつもりでも、間違いはあります。また、ネイティブでないと気づけない違和感(文法があっても、ニュアンスが変)などもあります。

 

私は、フランス語ができるようになればなるほど、コンプレックスを抱えるようになりました。どんなにやっても、できるようになっても、フランス人からは「フランス語ができない人」扱いされ、できなければ「幼稚な話し方」をする人扱いされます。また、心無い人・辛抱の足りない人からは、「はぁ?」って言われる。かなり強制しても、消しきれない訛りのせいで、聞き取れないみたい。

 

辛い。フランス人に拒否反応が出る。話したくない。ストレスたまる。笑えない。

そんな状態を私はフランス語アレルギーだと思ってます。

 

けれど、最近一般企業で働き始めて、少し考えが変わりました。というのは、そもそもラテンアメリカ系の企業だったので、直属の上司がスペイン語母語話者だったのです。お互い英語の方が得意ということで、私と上司とのやりとりは、英語。その上司もフランス語は、ネイティブ並みにできるのですが、やっぱりネイティブでないのはわかります。彼女の仕事ぶりを見ているうちに、私はコンプレックスから、少し抜け出すことができました。

 

語学はツール。仕事のスキルがあって、語学力はネイティブでなくてもいい。もちろん、勘違いしてはいけないのは、仕事に必要なレベルはクリアしている必要はある、ということです。それで、十分ということです。外国語のネイティブレベルとネイティブには、大きな隔たりがある。そこに注目するより、そのレベルのツールによって、通常業務がネイティブ以上にできている時点で、フランス人を束ねるディレクターになることもできる!ネイティブでないことにコンプレックスを持つことはない!ということです。フランス語も怖気付かずに堂々と話す彼女から、多くを学びました。

 

 

 

語学を学ぶ方は、学べば学ぶほど深みにはまっていく自分を感じることでしょう。

また、自分のネイティブ言語での知識量が多いほど、外国語を学ぶ際の語彙の量も学ぶ範囲も広がります。辛さも増えていきます。辛い時には、語学はツールなのだということを思い出してください。それがあなたの価値をきめるわけじゃないんです。

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ブログを始めて、1週間ほどですが、短く完結に伝えるのって難しい。

これから、もっと見やすいブログにできるように、工夫してきます。

よろしくお願いします。

民族音楽分析学という分野①

私は、旧パリ第4大学で民族音楽学を学んでいます。民族音楽学というのは、もはや「音楽」とイコールくらいのとても大雑把なくくりです。音楽といっても、クラシックからポップスまで様々なジャンルがあるのですが、民族音楽は伝統音楽に関する全ての学問分野を網羅するので、実は心理学系のものから、理系のような情報システム構築まで様々あります。

その中で、私の先生は「Ethnomusicologie analytique」が専門の1つです。私もその流れを組みます。分析的民族音楽学とか民族音楽分析学と訳せばいいのだと思いますが、つまり、音楽分析が主たる内容です。

ほぼ、現代音楽の作曲や分析と同じような作業をします。主に無料で使える音楽編集ソフトや分析ソフトを使って、音をビジュアル化しようという試みです。私は、神楽の研究をしているので、神楽にまつわる音楽的活動(すっごく語弊があるけれど)を通して、この技を使うことになります。

 

博論を最初の文法直しにかけている現在、新しい分析を始めることにしました。博論で、紹介だけした備中神楽の最中に録音した祝詞の分析の最初の最初です。

 

この祝詞は、神主さんが太鼓を叩きながら朗唱する、という面白いスタイルです。私が数十年前に日本の大学で指導されたのは、録音を聴きながらひたすら聴音する、というものでした。それから時代も進み、ソルボンヌでは、音楽編集ソフトを使って音楽を小さな単位に切っていく、という方法を学びました。2012年発表アリア・トゥミさんのレバノンのダンスの伴奏分析を参考にしています。

 

まず、分析の第一段階に必要なものは、PCでもMacでも使える音楽編集ソフト「audacity」です。

audacity.fr.softonic.com

 

私の知る限り、WAVとAIFFが使えます。

音楽ファイルをインポートすると、x軸(横のライン)は、時間の経過が、y軸(縦のライン)にはその音楽ファイルの音の強弱が表示されます。

私の音源には、神主さんの声と太鼓の刻むリズム(と雑音)が入っています。そもそもが楽譜という概念のない祝詞の音源です。これがどんな構造になっているかを知るには、どうしたらいいだろう?

考えた結果、太鼓のリズムを手がかりに、この祝詞の組み立て方を解き明かすことにしました。そういうわけで、太鼓に注目すると、どうやら、あるリズムパターンが何度も繰り返されているようなのです。で、そのリズムパターンが出てくるたびに「cmd+B(Macの場合)」「 ctrl++alt+B (PCの場合。要確認です!)」で、マーカーをつけていきます。キーを押すと、下にマーカーを示す帯が出てきます。帯左上にtaikoと名前を書きました。

 

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最初から最後まで太鼓マークをつけ終わると、同じパターンの時と、そうでない変則的なパターンも出てくることに気づいてきます。そこで、パターンの種類を「a,b,c....」で区分けし、さらに各パターンの登場回数をナンバリングします。そうすると、うっすらとこの祝詞の「音楽(すっごく語弊がありますが、わかりやすくここでは音楽)」の組み立てがわかってきます。

 

下の写真では、音楽を解体して、自分がわかりやすいように「はじめ、終わり」などの目印マーカーをつけたので、マーカーの帯が2つ出ています。太鼓の打ち始め(かつ、全体の音楽のはじめ)はじめのところにフランス語で、「début」と書きました。

 

この作業、たった5分の音楽分析でも、ゆっくりな曲は曲に合わせて作業できるので早いのですが、早い場合はかなり時間がかかります。同じパターンを聴きながら、ひたすら印をつけるという単純作業中には、いろいろな雑念「これがなんの役に立つのか」「これで誰が救われるのか」などが湧いてきます。音楽を言葉に置き換えれば、「たまご」という言葉が会話中に何度出てくるかをひたすらカウントし続ける、という意味不明な作業なんです。次第に「たまご」がゲシュタルト崩壊して、発狂しそうになるので、昼間することをお勧めします。

 

民族音楽は、そもそも誰がどんな意図でどんな構造で作ったのかがわからない場合がほとんどです。私たちのミッションは、音楽を解体していって、作成者がどんな意図や目的を持って音楽を作ったのかを解明していくことです。神楽が流行して全国的に広まったのは、おそらく中世期から近世にかけてなので、少なくとも数百年も前の人と音楽を通して、コミュニケーションを取ることができます。神楽の広まり以前にも、すでに音楽は存在しており、おそらく神楽の音楽は、神楽がある村に伝えられる前に存在していた音楽に影響を受けているはずです。(村人が演奏するからには、もともとできていたものに影響されるはずだから。)そうすると、何百年も何千年も少しずつ形を変えながら受け継がれてきた秘技にふれることになるわけで、宝探しのようなロマンがあります。

 

ただ、この記事で言いたかったことは、個人のロマンで終わってしまう危険性が、この分野にはある、ということです。でも、それってただの自己満足。他の分野に使えなければ、その人個人の活動で終わってしまいます。それでも素晴らしい研究はあるけれど、人として生きる以上、なんらかの形で社会に還元しなければならないと思います。ただ、神楽の研究は下手すると、個人ないし身内だけの楽しみで終わってしまいます。神楽の研究者以外には、「なんかよくわからないことしてるね」で終わってしまうリスクです。これは、フランスにきて痛感しました。そうでなくても、馴染みのない外国語満載の神楽研究。神楽を研究するのではなくて、神楽研究を通して民族音楽学という分野の進歩に貢献できなければ、いくら素晴らしい研究であってもうもれてしまいます。

 

私がレバノンの舞踊音楽からインスピレーションを得たように、神楽の研究もレバノンの音楽研究に貢献できるはずなのです。それができるかが、研究者としての力量の見せ所なのですが・・・難しい!

 

 

というわけで、今分析を始めましたが、これをどう料理するか、思案中です。フランスには、日本より学会の数が少ないので、私が投稿できる学会誌は年に1回、お題付きです。なので、フランス語でなく英語で発表しようと思うのですが、どうしたら採用されるんだろう。指導教官はおれども、研究室という概念もないので、一人手探りの毎日です。