とある民族音楽学者の日記

長年のフランス生活で培ったノウハウをシェアしたいと思います。よろしくお願いします。

民族音楽分析学という分野①

私は、旧パリ第4大学で民族音楽学を学んでいます。民族音楽学というのは、もはや「音楽」とイコールくらいのとても大雑把なくくりです。音楽といっても、クラシックからポップスまで様々なジャンルがあるのですが、民族音楽は伝統音楽に関する全ての学問分野を網羅するので、実は心理学系のものから、理系のような情報システム構築まで様々あります。

その中で、私の先生は「Ethnomusicologie analytique」が専門の1つです。私もその流れを組みます。分析的民族音楽学とか民族音楽分析学と訳せばいいのだと思いますが、つまり、音楽分析が主たる内容です。

ほぼ、現代音楽の作曲や分析と同じような作業をします。主に無料で使える音楽編集ソフトや分析ソフトを使って、音をビジュアル化しようという試みです。私は、神楽の研究をしているので、神楽にまつわる音楽的活動(すっごく語弊があるけれど)を通して、この技を使うことになります。

 

博論を最初の文法直しにかけている現在、新しい分析を始めることにしました。博論で、紹介だけした備中神楽の最中に録音した祝詞の分析の最初の最初です。

 

この祝詞は、神主さんが太鼓を叩きながら朗唱する、という面白いスタイルです。私が数十年前に日本の大学で指導されたのは、録音を聴きながらひたすら聴音する、というものでした。それから時代も進み、ソルボンヌでは、音楽編集ソフトを使って音楽を小さな単位に切っていく、という方法を学びました。2012年発表アリア・トゥミさんのレバノンのダンスの伴奏分析を参考にしています。

 

まず、分析の第一段階に必要なものは、PCでもMacでも使える音楽編集ソフト「audacity」です。

audacity.fr.softonic.com

 

私の知る限り、WAVとAIFFが使えます。

音楽ファイルをインポートすると、x軸(横のライン)は、時間の経過が、y軸(縦のライン)にはその音楽ファイルの音の強弱が表示されます。

私の音源には、神主さんの声と太鼓の刻むリズム(と雑音)が入っています。そもそもが楽譜という概念のない祝詞の音源です。これがどんな構造になっているかを知るには、どうしたらいいだろう?

考えた結果、太鼓のリズムを手がかりに、この祝詞の組み立て方を解き明かすことにしました。そういうわけで、太鼓に注目すると、どうやら、あるリズムパターンが何度も繰り返されているようなのです。で、そのリズムパターンが出てくるたびに「cmd+B(Macの場合)」「 ctrl++alt+B (PCの場合。要確認です!)」で、マーカーをつけていきます。キーを押すと、下にマーカーを示す帯が出てきます。帯左上にtaikoと名前を書きました。

 

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audacity1

最初から最後まで太鼓マークをつけ終わると、同じパターンの時と、そうでない変則的なパターンも出てくることに気づいてきます。そこで、パターンの種類を「a,b,c....」で区分けし、さらに各パターンの登場回数をナンバリングします。そうすると、うっすらとこの祝詞の「音楽(すっごく語弊がありますが、わかりやすくここでは音楽)」の組み立てがわかってきます。

 

下の写真では、音楽を解体して、自分がわかりやすいように「はじめ、終わり」などの目印マーカーをつけたので、マーカーの帯が2つ出ています。太鼓の打ち始め(かつ、全体の音楽のはじめ)はじめのところにフランス語で、「début」と書きました。

 

この作業、たった5分の音楽分析でも、ゆっくりな曲は曲に合わせて作業できるので早いのですが、早い場合はかなり時間がかかります。同じパターンを聴きながら、ひたすら印をつけるという単純作業中には、いろいろな雑念「これがなんの役に立つのか」「これで誰が救われるのか」などが湧いてきます。音楽を言葉に置き換えれば、「たまご」という言葉が会話中に何度出てくるかをひたすらカウントし続ける、という意味不明な作業なんです。次第に「たまご」がゲシュタルト崩壊して、発狂しそうになるので、昼間することをお勧めします。

 

民族音楽は、そもそも誰がどんな意図でどんな構造で作ったのかがわからない場合がほとんどです。私たちのミッションは、音楽を解体していって、作成者がどんな意図や目的を持って音楽を作ったのかを解明していくことです。神楽が流行して全国的に広まったのは、おそらく中世期から近世にかけてなので、少なくとも数百年も前の人と音楽を通して、コミュニケーションを取ることができます。神楽の広まり以前にも、すでに音楽は存在しており、おそらく神楽の音楽は、神楽がある村に伝えられる前に存在していた音楽に影響を受けているはずです。(村人が演奏するからには、もともとできていたものに影響されるはずだから。)そうすると、何百年も何千年も少しずつ形を変えながら受け継がれてきた秘技にふれることになるわけで、宝探しのようなロマンがあります。

 

ただ、この記事で言いたかったことは、個人のロマンで終わってしまう危険性が、この分野にはある、ということです。でも、それってただの自己満足。他の分野に使えなければ、その人個人の活動で終わってしまいます。それでも素晴らしい研究はあるけれど、人として生きる以上、なんらかの形で社会に還元しなければならないと思います。ただ、神楽の研究は下手すると、個人ないし身内だけの楽しみで終わってしまいます。神楽の研究者以外には、「なんかよくわからないことしてるね」で終わってしまうリスクです。これは、フランスにきて痛感しました。そうでなくても、馴染みのない外国語満載の神楽研究。神楽を研究するのではなくて、神楽研究を通して民族音楽学という分野の進歩に貢献できなければ、いくら素晴らしい研究であってもうもれてしまいます。

 

私がレバノンの舞踊音楽からインスピレーションを得たように、神楽の研究もレバノンの音楽研究に貢献できるはずなのです。それができるかが、研究者としての力量の見せ所なのですが・・・難しい!

 

 

というわけで、今分析を始めましたが、これをどう料理するか、思案中です。フランスには、日本より学会の数が少ないので、私が投稿できる学会誌は年に1回、お題付きです。なので、フランス語でなく英語で発表しようと思うのですが、どうしたら採用されるんだろう。指導教官はおれども、研究室という概念もないので、一人手探りの毎日です。